「ロック」の進化
「原点となった信念」
プルデンシャルの創立者ジョン・F・ドライデンが「産業保険の父」として知られるようになる前、彼は無名のセールスマンでした。あまり一般的ではなかった彼の信念は、「貧しい家庭や労働者家庭は経済的な安定と心の平穏を得る権利がある」というものでした。生命保険が一握りの裕福な上流階級の人々だけのものだった当時、これは革命的な概念でした。
当社のあゆみのハイライトをご覧ください。
1875
プルデンシャル・フレンドリー・ソサエティと3セント保険
ニュージャージー州ニューアークで創業し、銀行の地下に借りたオフィスで営業を開始。私たちの使命はシンプルで、労働者階級に手頃な生命保険を提供することでした。そして、私たちはそれを実現しました。週わずか3セントの保険商品です。
1875
プルデンシャル・フレンドリー・ソサエティと3セント保険
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知っていましたか?プルデンシャルのロゴである岩(ROCK)の由来
知っていましたか?プルデンシャルのロゴである岩(ROCK)の由来
創業の年、ジブラルタルの岩のロゴが誕生する20年前に、『ニューアーク・レジスター』紙はプルデンシャルの強さと安定性について「プルデンシャルはまさに岩(ロック)の上に築かれたと言えるだろう」と書いていました。
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「ザ・ロック(The Rock)」がプルデンシャルの 企業シンボルとして初登場
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1896
「ザ・ロック(The Rock)」がプルデンシャルの企業シンボルとして初登場
「プルデンシャルにはジブラルタルの強さがある」と表現されることがありますが、こうした言い方は、今や有名なジブラルタルの岩の景観とともに、プルデンシャルの安定性を象徴していると言えるでしょう。1896年以前のプルデンシャルの広告では、ニューアークの新しい11階建ての高層ビルを掲げていました。プルデンシャルが当地に永く存続していくことを示す象徴として取り上げ、プルデンシャルを「強さの塔」と称していたのです。しかし残念ながら、人々の心には響きませんでした。代理店のJ・ウォルター・トンプソンに勤める若いニューヨークの広告マン、モーティマー・レミントンが、ジブラルタルの岩を使うアイデアを思いつき、そうして歴史が作られたのです。
1896
「ドライデンはタフだった。そうでなければならなかった」
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「[ドライデンは]タフな人物だった。金融界が無法地帯のフロンティアのようであった時代、タフでなければ時代を乗り切ることができなかったのだ[中略]。彼はプルデンシャルに利益をもたらす時には同盟を結んだが、結局のところ、プルデンシャルは常に独立を保ち、保険契約者以外の利益を代表することはなかった。」 - ウィリアム・カー著 『From Three Cents, a Week…』(週に3セントから)より”
初の団体保険契約を締結
1916
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電話のビジネス利用の先駆け
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債券に新たな
焦点をもたらす
1928
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画期的な技術をいち早く採用
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第二次世界大戦中、ニューアーク 市内のビルを国 のために提供
1942
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1950
プルデンシャル、ラジオやテレビなどの 放送メディアを使って 広報活動を開始
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プルデンシャルの 伝統を物語るもの
1952
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1967
ニューアークへの コミットメント、そして発展
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PRISA:不動産に新風を吹き込む
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日本での合弁事業:プルデンシャルとソニー
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1971
「Get a Piece of the Rock」キャンペーン がスタート
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プルデンシャルが世界最大の保険会社に
1975
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日本におけるプルデンシャルを設立
1987
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BRGSは包摂とコミュニティを推進
1993
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目標を達成した
グローバル化
1999
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約束を守り続ける
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1999年になる頃には、プルデンシャルは世界的な存在感を示すようになり、生命保険事業と投資運用サービスをグローバルな規模で拡大しています。
「私たちがこれほど長く存続できているのは、約束を守り続けているからです。[中略]私たちは正しい方法で正しい仕事をし、正しい結果を生み出しているのです。」
-アーサー・ライアン元CEOによるプルデンシャル創業125周年記念式典でのコメント
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1999
目標を達成したグローバル化
プルデンシャルの革新的な社風を活かし、私たちはアーティストで音楽界の象徴的存在であるデヴィッド・ボウイとパートナーシップを組み、ボウイ・ボンドを発行しました。これはボウイの現在(および将来の)著作権使用料とライブパフォーマンスを担保とするユニークな証券です。この種のものとしては初めて、ボウイ・ボンドは発行により5,500万ドル以上を調達しました。
1997
ボウイ・ボンド:プルデンシャルのグラムロック的革新
ビジネスリソースグループ(BRG) は、従業員主導の自主的なグループとして設立され、多様性と包摂性を備えた職場環境を育み、帰属意識とコミュニティ意識を提供しています。現在、BRG は 5,600 名を超えるメンバーを擁し、米国の従業員全体の 40% を占めています。そのうち数名は、1993 年の設立当初からプルデンシャルの BRG に所属しています。
1993
BRGSは包摂とコミュニティを推進
坂口陽史は、社員わずか15人で日本のプルデンシャルを創業し、革新的なビジネスモデルを先駆的に導入しました。それは、多くの「専門家」が日本では絶対に通用しないと助言していたものでした。
坂口は、プルデンシャル独自のライフプランナーモデルを考案しました。当時日本の生命保険会社はパートタイムで働く主婦を営業の主体としていましたが、坂口はこれを、プロフェッショナルなセールスを導入し、人々のニーズに応じて生命保険を販売するチャンスだと考えました。プルデンシャルは、大卒の男性を採用し、生命保険のプロフェッショナルであるライフプランナーを育成するため、大卒の男性を採用したのです。彼らには生命保険での営業経験が全くないことを条件としました。業界の先入観がない新入社員対象に、最高品質のサービスをニーズベースで販売することを訓練することが可能だと、坂口は確信していました。
日本でのプルデンシャルの事業は、ライフプランナーが顧客に提供したきめ細やかなサービスが紹介によって広がり、急速に成長しました。そして、日本のプルデンシャルは、わずか15名の社員でスタートしてから、坂口が58歳で亡くなる2002年1月には、世界中で16,000名の社員を擁するまでに成長しました。
1987
日本におけるプルデンシャルを設立
プルデンシャルは、資本を活用して変化を生み出すというコミットメントを正式に表明し、インパクト投資プログラムとプルデンシャル財団を設立しました。それ以来、同財団は10億ドル以上を投資し、米国内外のコミュニティにおいて公平な経済的機会を創出しています。さらに、プルデンシャルのインパクト投資グループは20億ドル以上を投資しています。このことは、プルデンシャルのビジネスが利益を上げることで成長や進歩を推進できるという事実を証明していると言えるでしょう。
1976
インパクト投資とプルデンシャル財団利益と目的の合致
2,000億ドルを超える保険契約を持つプルデンシャルは、最大の保有契約高を誇る保険会社に。今や、総資産と年間保険料収入を含む業界の3つの主要指標すべてで首位に立っています。
1975
プルデンシャルが世界最大の保険会社に
1970年、プルデンシャルは不動産投資家およびイノベーターとしての役割を拡大し、PRISA(Property Investment Separate Account:不動産投資分離勘定)を設立。その中核をなすオープンエンド型ファンドは、年金プランナーに対して、投資の一部を不動産に充てることで投資の分散を図る機会を与えました。
PRISA:不動産に新風を吹き込む
この広告キャンペーンはプルデンシャルのブランド認知度を大幅に向上させ、保険業界において「ザ・ロック」が安定性と信頼性の代名詞となりました。
1971
「Rockのかけらを手に入れよう」キャンペーンがスタート
また、プルデンシャルは、個人向けに変額年金を販売した最初の大手保険会社となりました。営業社員は登録代理人としての資格を取得する必要があります。
1970
年金分野での先進的な取り組み
ニューアークをはじめとする米国の多くの都市で起きた市民騒乱を受け、当地で操業していた企業のほぼ半数が撤退していきました。しかしながらプルデンシャルはこの地に残ることを決め、ニューアークの再建を支援することを決意するとともに、雇用機会均等への取り組みを公言したのです。5年のうちに、プルデンシャルは市民騒乱の影響を受けた都市への投資支援として3億3,300万ドルを計上しました。
1967
ニューアークへのコミットメント、そして発展
フランク・J・ラディが、会社の歴史上20,000人目の20年勤続社員に。家族3代がプルデンシャルで働いていることも珍しくありませんでした。
1952
プルデンシャルの伝統を物語るもの
さらに、生命保険会社として初めてテレビ広告を打ち、「プルデンシャル・ファミリー・プレイハウス」という番組のスポンサーとなりました。プルデンシャルは創業75周年を迎えました。
1950
プルデンシャル、ラジオやテレビなどの 放送メディアを使って 広報活動を開始
ニューアークのビルには、米軍支援へのコミットメントのシンボルたる役割を果たし、軍人の扶養家族への支払いを担当する扶養手当局が入っていました。第二次世界大戦中の犠牲者に対し、プルデンシャルは4年間で約10万件の保険契約に対して7,000万ドル以上の給付金を支払いました。
1942
第二次世界大戦中、ニューアーク市内のビルを国のために提供
債券投資事業では、機関投資家向けの債券口座の運用を開始しました。
1928
債券に新たな焦点をもたらす
プルデンシャルは1935年、インターナショナル・ビジネス・マシーンズ、別名IBMという当時はあまり知られていなかった会社と提携して、コンピューターの使用を開始しました。
1935
画期的な技術をいち早く採用
当社は、電話の大規模な利用を開始した最初の米国企業の1つです。
電話のビジネス利用の先駆け
顧客満足度が、このビジネスの創業以来の代名詞となっています。そのため、団体契約で80年以上も当社をご利用いただいているお客様がいるのは、驚くべきことではありません。
1916
初の団体保険契約を締結
1935
成長株投資のパイオニア
1985
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1987
新たな投資信託シリーズの創設
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当社は、業界で最も長い成長株投資実績を築いたスピロス・“シグ”・セガラス氏によって1969年に設立された成長株投資専門会社ジェニソン・アソシエイツを買収しました。
1985
成長株投資のパイオニア
投資信託運用事業が設立され、現在ではPGIM Investmentsとして、成長する投資信託ファミリーを管理しています。
1987
新たな投資信託シリーズの創設
貸付業務の パイオニアへ
1956
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後にPGIMプライベート・キャピタルとなる基盤を築くため、中小企業に資本を提供する新しい商工業融資部門が設立されました。
1956
貸付業務のパイオニアへ
クリーブランド公共図書館: 我々の最初の団体年金
1928
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1928 年9月16日、プルデンシャル保険アメリカ支社の団体年金部門は、オハイオ州クリーブランド公共図書館の年金リスクを引き受ける契約番号101という最初の団体年金を発行しました。このポリシーの一環として、図書館の従業員は勤務年数に応じて少額の年金給付金を受け取ることになり、退職時にプルデンシャルから支払われました。彼らは現在も当社のお客様です。
1928
クリーブランド公共図書館: 我々の最初の団体年金
1997
ボウイ・ボンド:プルデンシャル のグラムロック的 革新
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1976
インパクト投資とプルデンシャル財団利益と目的の合致
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年金分野での先進的な取り組み
1970
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1970年代初頭から、プルデンシャルは、世帯当たりの生命保険の普及率95%という世界有数の保険大国であり、魅力的な市場である日本への参入を検討していた。同様に、ソニーもグループ内に金融機関を持つことを切望しており、当時世界最大の生命保険会社であったプルデンシャルに憧れの念を抱いていた。
1979年、プルデンシャルの生命保険に関する専門知識とソニーの日本における事業開発能力を生かすことを目的として、合弁会社「ソニー・プルデンシャル生命保険」が設立された。この新しいベンチャーの中心にいたのは、カリスマ的な先見の明を持つ坂口陽史であった。彼は、プルデンシャルのシニア・エグゼクティブであるジョー・ダンとソニー側の代表者とチームを組み、米国のエージェンシー制度を日本に適応させた。
ライフプランナーと呼ばれる大卒の生命保険のプロフェッショナルを採用・育成し、お客さまに最適なサービスを設計し、高度にパーソナライズされた提案を行うという、日本における生命保険販売に独自のアプローチを導入した。ライフプランナー・モデルは日本で大成功を収め、世界中のPIIライフプランナー各社の基礎となっている。
日本での合弁事業:プルデンシャルとソニー
年-プルデンシャル・オブ・ブラジルが誕生
1997
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プルデンシャル・ド・ブラジル(プルデンシャル・オブ・ブラジル、POB)は、プルデンシャルのラテンアメリカにおける最初のベンチャー企業であり、新興市場における足跡を拡大するという当社のコミットメントを反映している。1997年9月9日、ブラデスコ・セグロスとの合弁事業として設立されたPOBは、1998年1月1日に営業を開始し、2002年に完全子会社となった。
同社は当初、ブラジルの顧客に合わせたライフプランナー・モデルによる生命保険の販売に注力していた。2010年には、販売チャネルを拡大し、ブラジル全土の企業や団体を対象とするサードパーティチャネルを含めるようになり、2018年には、POBはイタウ・ウニバンコ・ホールディングS.A.から団体生命保険事業を買収し、ソリューション・ポートフォリオを拡大した。POBは引き続き、金融保障の提供において重要な役割を果たすとともに、ブラジルの生命保険事情の形成に貢献していく。
1997
年-プルデンシャル・オブ・ブラジルが誕生
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1979
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1970
1975
プルデンシャルのあゆみ
HERE THEN
HERE NOW
HERE TOMORROW
HERE NOW
HERE THEN
HERE NOW
HERE TOMORROW
eighteen seventy five
© 2025 Prudential Financial, Inc.およびその関連会社。Prudential、Prudentialのロゴ、およびRockのシンボルは、Prudential Financial, Inc.および世界中の国・地域で登録されているその関連法人のサービスマークです。
©2025 Prudential Financial, Inc. y entidades relacionadas. Prudential, el logotipo de Prudential y el Símbolo de la roca son marcas de servicio de Prudential Financial, Inc. y sus entidades relacionadas, registradas en muchas jurisdicciones en todo el mundo.
プルデンシャルのあゆみ
坂口陽史は、社員わずか15人で日本のプルデンシャルを創業し、革新的なビジネスモデルを先駆的に導入しました。それは、多くの「専門家」が日本では絶対に通用しないと助言していたものでした。
坂口は、プルデンシャル独自のライフプランナーモデルを考案しました。当時日本の生命保険会社はパートタイムで働く主婦を営業の主体としていましたが、坂口はこれを、プロフェッショナルなセールスを導入し、人々のニーズに応じて生命保険を販売するチャンスだと考えました。プルデンシャルは、大卒の男性を採用し、生命保険のプロフェッショナルであるライフプランナーを育成するため、大卒の男性を採用したのです。彼らには生命保険での営業経験が全くないことを条件としました。業界の先入観がない新入社員対象に、最高品質のサービスをニーズベースで販売することを訓練することが可能だと、坂口は確信していました。
日本でのプルデンシャルの事業は、ライフプランナーが顧客に提供したきめ細やかなサービスが紹介によって広がり、急速に成長しました。そして、日本のプルデンシャルは、わずか15名の社員でスタートしてから、坂口が58歳で亡くなる2002年1月には、世界中で16,000名の社員を擁するまでに成長しました。

今やインターネットの時代です。 次に何をすべきか?
プルデンシャルがこれまで何十年にもわたって、世界の情勢変動、消費者習慣の変化、新技術の台頭を通じて、何度も劇的な変革を遂げてきたことは想像に難くないでしょう。150年もの歴史を刻むには、深い変革を遂げる力が必要です。しかし、プルデンシャルでは創業時の基本理念は今なお変わらず、人々すべてが経済的な安心を得るべきだという考えを大切にしています。
今のハイライトをご覧ください:
2001
プルデンシャル 株式公開を 果たす
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2001
プルデンシャル、株式公開を果たす
プルデンシャルは、2001年米国同時多発テロを受けて最大規模のIPO(新規株式公開)を行いました。これは市場の信頼を回復するための重要なステップとして称賛されました。ニューヨーク証券取引所の終了の鐘が鳴る頃には、プルデンシャルは50億ドルもの資本を調達しました。
インパクト 投資で10億ドル を達成
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2004
インパクト投資で10億ドルを達成
プルデンシャルの慈善活動と積極的な社会的影響への献身の証として、金融包摂、教育、手頃な価格の住宅、変革的インフラの分野で、社会的企業、金融仲介機関、実物資産へのインパクト投資を行い、その総額は10億ドルを超えました。
2004
知っていましたか?歴史をつくる
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2012
PRT(年金 リスク移転) の新時代
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戦略的買収スターとエジソン
詳細を確認する
災害救援と レジリエンス
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PGIMを世界に向けて紹介
2016
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プルデンシャル生命創業30周年
詳細を確認する
絶え間ない力強い成長
詳細を確認する
”
AIが保険の 引受業務を変革
詳細を確認する
2017
2022
PGIMの職場文化は際立つ存在
2023
詳細を確認する
「次に何 をすべきか」を考えるとき
詳細を確認する
経済的包摂を推進:Blueprints to Black Wealth
2023
詳細を確認する
顧客体験における大きな躍進
2024
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知っていましたか?歴史をつくる
プルデンシャルは、ワシントン D.C. にあるスミソニアン国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館の創設寄付者5社のうちの1社です。
2012
PRT(年金リスク移転)の新時代
また、プルデンシャルは、ゼネラルモーターズ(GM)と画期的な年金リスク移転契約を締結しました。この契約は同種の契約としては米国最大のものとなりました。その勢いを受けて、プルデンシャルは同年、ベライゾン(Verizon)とも画期的な年金リスク移転契約を結び、2024年に同社との最新の契約を締結する基盤を築きました。
戦略的買収スターとエジソン
プルデンシャルは、アジアにおける事業基盤を拡大するため、日本のエイアイジー・スター生命保険株式会社(以下「スター」)とAIGエジソン生命保険株式会社(以下「エジソン」)の買収に成功した。2011年に完了したこの買収は、日本市場におけるプルデンシャルのプレゼンスを確固たるものとし、世界中の顧客に多様な保険ソリューションを提供するための重要な一歩となった。
強力な顧客基盤と広範な販売網を持つ評判の高い2社、 スターとエジソンが加わったことで、プルデンシャルの競争力は大幅に強化された。この取引は約48億ドルと評価され、プルデンシャル史上最大規模のものとなった。これにより、プルデンシャルは顧客層を拡大できただけでなく、スターとエジソンの包括的な商品ポートフォリオを活用できるようになり、現在(注:2023年度現在)では、日本において新契約高及び保有契約高で業界3位であり、業界トップクラスの地位を確固たるものにしている。
ミート・ザ・モーメント: 災害救援とレジリエンス
プルデンシャルは災害管理に対しても独自のアプローチを取っており、緊急救援、復旧、再建、そして事前準備を包括して考えています。そうした包括的な対応を行う際に、私たちは回復力(レジリエンス)を非常に重要な要素として位置づけています。プルデンシャルが2011年東日本大震災後の日本の救援・復興活動を支援するために5億円(610万米ドル)を寄付したように、私たちの支援は世界中の危機に対応しています。ユニセフなどの組織に助成を行い、何百万人もの個人や地域社会が、災害による経済的影響に耐え、そこから立ち直ることができるのです。
2016
PGIMを世界に向けて紹介
PGIMは、公開市場と非公開市場にわたる深い投資専門知識を持つ世界有数の資産運用会社として、世界にその名を知られるようになりました。このリブランディングにより、PGIMのグローバルなスケールとリスク管理の経験が統合される一方、各アセットクラスに特化した専門知識を活かした投資文化を維持することができました機関投資家による長期的な目標達成に向けたPGIMの支援状況については、PGIM.comをご参照ください。
2017
プルデンシャル生命創業30周年
2017年10月14日、プルデンシャル・オブ・ジャパン(POJ)は創立30周年を祝った。1987年10月にプルデンシャル初の北米外での生命保険事業として設立されたPOJは、世界中のインターナショナル・インシュアランスのライフプランナー・モデルの模範であり、2002年に逝去した坂口陽史氏の並外れたレガシーを引き継いでいる。
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「私は断言できますが、当社はこれまでで最高の状態にあります。[中略]この自信に満ちたコメントが、40年間この会社の一員であった者の視点からのものであることを心に留めておいてください。」
- ジョン・ストレングフェルド,プルデンシャル元CEO、2018年
2022
AIが保険の引受業務を変革
新技術の導入を躊躇しないプルデンシャルは、引受業務に人工知能の取り組みを導入することで顧客サービスを迅速化し、処理時間を大幅に短縮しました。処理時間が22日から22秒にまでなることもありました。
*米国プルデンシャルにおけるAI導入例
2023
PGIMの職場文化は際立つ存在
PGIMは、投資運用業界においてトップクラスの職場文化を持つ企業として常に認められています。
「次に何 をすべきか」を考えるとき
新しい広告キャンペーン「Now what?(次に何をすべきか)」は、消費者に人生の大切な機会を活かして財務の安定性を確保するよう促すことで、競合他社との差別化を図っています。
2023
経済的包摂を推進:Blueprints to Black Wealth
Blueprints to Black Wealth は、プルデンシャル初の総合的なビジネス成長戦略で、アメリカ黒人の金融の歩みに焦点を当てています。Blueprints は、真の経済的包摂を推進するコミュニティ、組織、機関に投資するというプルデンシャルの長年の取り組みに基づいています。これは、黒人コミュニティの力と世代を超えた富の構築の重要性に対する深い理解に基づいており、アクセス拡大というプルデンシャルのビジョンと戦略をサポートしています。
2024
顧客体験における大きな躍進
当社は顧客体験(CX)を最優先し、デジタルプラットフォームを改善した結果、複数のCX賞を受賞しました。
「プルデンシャルのお客様は、150年の歴史の中で困難や予期せぬ出来事を乗り越えてきた我が社を選んでくださいました。お客様に経済的な安心と安全を提供すること、それが私たちの仕事であり、私たちはそれを十分に果たしています。プルデンシャルには、引き続き力強くお客様を支え、サポートする体制が整っています。」
チャーリー・ラウリー
(会長兼CEO)、2024
ジブラルタ生命、新しいビジネスモデル
2001
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世界規模での成長が勢いを増す
プルデンシャルの投資運用事業は、APAC(アジア太平洋)地域の資産運用会社の買収を皮切りに、新たな世紀の成長への道を歩み始めています。現在、PGIMは世界中にいくつのオフィスを展開しているでしょうか?
A) 19
B) 26
C) 33
D) 41
(正解はDです)
2000
2010
2010
2008
詳細を確認する
2010
プルデンシャル ジブラルタ ファイナンシャル生命: 新たな成功事例
詳細を確認する
2000
世界規模で
の成長が 勢いを増す
詳細を確認する
GFC(世界金融危機)を乗り越え、強さの象徴に
ジブラルタ生命、新しいビジネスモデル
ジブラルタ生命は、2001年にプルデンシャルが協栄生命を買収して日本で設立された。
ジブラルタ生命は、それまで培ってきた全国の関連団体、独立系代理店、ビジネスパートナー、全国津々浦々の顧客との長年の信頼関係に基づき、日本の生命保険業界において最も信頼される保険会社となることを目指している。また、ジブラルタ生命は、プルデンシャル・ファイナンシャルのグローバル展開の戦略にも貢献しながら、日本の保険業界において安定的に重要な役割を担っている。
2001
2008
GFC(世界金融危機)を乗り越え、強さの象徴に
金融危機の最中、世界中が中堅企業への資金融資を停止したときも、プルデンシャルは2008年10月から2009年12月までに150億ドルもの資金を提供し続けました。
プルデンシャル ジブラルタ ファイナンシャル生命: 新たな成功事例
2010
日本のジブラルタ生命は新たに、銀行を通じて商品を販売することで、顧客のニーズに応える試みを始めた。この市場での初期の成功により、ジブラルタ生命は大和生命を買収し、新会社を設立することにした。
2010年4月1日にプルデンシャル ジブラルタ ファイナンシャル生命(PGF生命)として創業し、東京に本社を置き、同年夏以降、銀行窓販市場を中心に販売を開始した。PGF生命は、顧客の将来における経済的な保障に重点を置き、潜在的な課題を、生命保険を通じて解決できるよう、死亡保障をはじめ、介護や年金など幅広い保険商品を提供している。プルデンシャルはPGF生命の設立により、同社の事業を多様化かつ拡大させ、より多くの人々に経済的な保障を提供することに大きく貢献した。
プルデンシャルのあゆみ
HERE THEN
HERE NOW
HERE TOMORROW
HERE TOMORROW
HERE THEN
HERE NOW
HERE TOMORROW
© 2025 Prudential Financial, Inc.およびその関連会社。Prudential、Prudentialのロゴ、およびRockのシンボルは、Prudential Financial, Inc.および世界中の国・地域で登録されているその関連法人のサービスマークです。
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プルデンシャルのあゆみ
お客様とコミュニティのために
150年の歴史の中で、物事がいかに早く変化するかを当社は学びました。しかし、決して変化しないものがあります。それは、投資、保険、退職後の安心を得る機会を拡大する取り組みです。AIから長寿、コミュニティ構築まで、当社は未来に全面的に焦点を当て、次の150年への期待に胸を躍らせています。
プルデンシャル 創業150周年を祝う
2025
詳細を確認する
より多くの人々がより良い、より長い人生 を送れるよう支援するという使命
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新しい世代 Generation Betaの台頭
2025
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時代の要請に応える:大規模な資産移転
2045
詳細を確認する
Flash Forward:AIで本物の視点を引き出す
詳細を確認する
USA
MEXICO
ColOmbia
PERU
CHILE
BRAZIL
GHANA
SOUTH AFRICA
KENYA
INDIA
JAPAN
CHINA
グローバル展開の一旦を垣間見る
世界中に広がるプルデンシャルとPGIMのプレゼンスを探る。
INDONESIA
sAN FRANCISCO
Los Angeles
MEXICO CITY
MINNEAPOLIS
CHICAGO
MEMPHIS
Dallas
MIAMI
ORLANDO
ATLANTA
TORONTO
BOSTON
NEW YORK
NEWARK
SYDNEY
MUMBAI
SINGAPORE
hong kong
TAIPEI
TOKYO
Seoul
Shanghai
AMSTERDAM
MADRID
LETTERKENNY
LONDON
PARIS
FRANKFURT
MUNICH
MILAN
ZURICH
Flash Forward:AIで本物の視点を引き出す
Flash Forward では、人々が理想的な退職生活をイメージできるよう、テクノロジーを活用しています。
2025
「プルデンシャルは、お客様や取引先の変化するニーズに対応し、長期的で持続可能な成長を達成するために、進化を続けていきます。このようにして、より多くの人々が経済的な安心と繁栄を享受できるよう支援するとともに、投資、保険、退職後の安心をより多くの人々に提供するグローバルリーダーになるという我々の ビジョンを実現できるのです。」
チャーリー・ラウリー
(会長兼CEO)、2024
不動産に おける手頃な融資に明るい未来
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プルデンシャルのあゆみ
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2025
プルデンシャル 創業150周年を祝う
プルデンシャルは50か国以上で5,000万人以上のお客様にサービスを提供し、一方でPGIMは総運用資産1.2兆ドルを超える世界有数の資産運用会社としての地位を確立 しています。
より多くの人々がより良い、より長い人生 を送れるよう支援するという使命
創業当時と同じように、プルデンシャルはこれから直面するであろう課題にも真正面から取り組んでいます。
2025
新しい世代(Generation Beta)の台頭
今後、2025年から2039年の間に生まれた新しい世代(Generation Beta)が台頭してくることでしょう。ヒトゲノムが「ハッキング」可能なコードとヒトゲノムが「ハッキング」可能なコードと考えられるようになれば、120歳まで生きることが当たり前になるかもしれません。人の寿命が延びるにつれて、私たちは老後の生活のあり方を再考し、お客様の人生の成果を守るために寄り添い続ける必要があります。
2045
時代の要請に応える:大規模な資産移転
史上最大の富の移転と称される状況において、『フォーブス』誌の推計では、今後20年間で 90兆ドル以上の資産が世代間で移転すると見込まれています。人々が仕事やライフスタイル、退職後の生活を見直す中で、プルデンシャルは 再びその時代の課題に立ち向かい、支援を 行います。
不動産における手頃な融資に明るい未来
使命感に基づいた手頃な価格の集合住宅向け融資により、PGIMリアルエステートは業界全体で積極的な役割を果たし、手頃な価格の融資の未来を推進することに貢献しています。世界全体で2,100億ドルを超える運用資産(AUM)および管理資産(AUA)を誇る同社は、多様な融資ソリューションを 通じて借り手に優れた成果を提供することを目指し、またそのプラットフォームを通じて、地域社会を強化する活動を 追求しながら、環境および社会にポジティブな影響を もたらす実践に取り組み続けています。
